大判例

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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)9712号 判決

主文

一  別紙各請求目録記載の各被告は、各自、その請求目録の「原告名」欄記載の各原告に対し、各「請求金額」欄記載の金員及びこれに対する昭和六〇年七月一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は、別紙各請求目録記載の各被告と同目録の「原告名」欄記載の各原告との間において、それぞれ各被告の負担とする。

三  この判決は、仮に執行することができる。

理由

第一  請求原因事実を自白したものとみなされる被告

一  被告石川洋、被告石松禎佑、被告奥敏雄、被告北村敏裕、被告越尾正、被告沢田正勝、被告藤原義幸、被告道添憲男、被告安浪喜隆、被告薮内弘、被告山元博美、被告川井元、被告木原幹和、被告沢田初男、被告坂口健策、被告佐藤秀夫、被告鈴木良一、被告深井守、被告菊地準、被告照井啓司、被告松本勝身、被告谷内田功、被告小栗重次、被告黒沢悦子、被告小林徹次、被告田中一守及び被告平野義和は、いずれも本件口頭弁論期日に出頭せず、答弁書その他の準備書面を提出しないから、請求原因事実を明らかに争わないものと認め、これを自白したものとみなす。

二  右事実によれば、右各被告に対する別紙各請求目録の「原告名」欄記載の各原告の各「請求金額」欄記載の金員及びこれに対する不法行為の日の後である昭和六〇年七月一日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める請求は、いずれも理由がある。

第二  請求原因に争いのある被告

そこで以下、第一の一記載の被告らを除くその余の被告ら(以下単に「被告ら」という。)との間で、当該被告に対する別紙各請求目録の「原告名」欄記載の各原告の請求の当否について判断する。

一  公示送達の被告

被告井上雄弘、被告大原(名前略)、被告北本幸弘、被告木田俊忠、被告木村伸二、被告古池国雄、被告東野日出男、被告山田喜富、被告及川次男及び被告熊谷裕次は、いずれも公示送達による呼出を受けたが、本件口頭弁論期日に出頭しない。

二  事実の第二の二に記載以外の被告

被告田村隆一は、請求原因事実につき認否・主張をしないが、自己に対する帰責事由を否認する趣旨と解される。

被告斉藤清秀は、第六事件の第一回口頭弁論期日(昭和六二年七月八日)を始め、本件口頭弁論期日に出頭しないが、右第一回期日後に提出された同被告の昭和六三年三月七日付「準備書面として」と題する書面によれば、自己に対する帰責事由を否認する旨主張している。

被告横山章は、第六事件の第三回口頭弁論期日(昭和六二年一一月二五日)に出頭しないが、右期日において陳述したものとみなされた同被告の答弁書によれば、「原告の主張する詐欺とか出資法違反、公序良俗違反の行為をしたことはありません。」との記載がある。

三  一部当事者に争いのない事実

次の事実は、当該被告とその被告に対する別紙請求目録記載の各原告との間において争いがない。

1  被告日下晴彦

右被告が豊田商事の取締役であつたこと、請求原因2(一)(1)のうち、豊田商事が顧客との間で本件契約を締結することをその営業の一つとしていたこと及び本件契約の概要並びに同4のうち、原告らの一部が別紙被害状況一覧表の各「填補額」欄記載の金員の返還を受けていること。

2  被告小倉邦彦、被告森川佳則

右各被告が取締役として登記されていたこと。

3  被告川口誠一郎、被告埴淵久志、被告横江幸男、被告久保村市郎、被告戸谷誠治

右各被告が豊田商事の従業員であつたこと、請求原因2(一)(1)のうち、本件契約が賃借料として購入価格に対し年一〇ないし一五パーセント相当額を支払うというものであつたこと、同2(一)(2)の頭書及び<1>の事実、同2(一)(2)<2>のうち、金地金について、三大利点として「有利性」「換金制」「税金がかからない。」という説明があつたこと、同2(三)(1)のうち、営業社員は、社内教育又は上司の指導を受け、顧客の家に入る前、入つた後の話の途中及び退出した際、それぞれ電話で上司に報告することを義務づけられており、テレフォンレディも営業社員も顧客の動向についての報告書を書くこととされていたこと並びに同2(三)(2)のうち、被告らが歩合報酬を受領するとされていたこと及びノルマが定められていたこと。

4  被告吉田景子

右被告が別紙加害態様一覧表記載の日時、場所において、同表記載の原告らに勧誘行為をしたこと。

5  被告野本好勝

請求原因1(二)(1)及び(2)の事実、同2(一)(1)のうち、本件契約の内容並びに同2(三)(2)<2>のうち、社内ノルマの存在。

6  被告大西健一

本件商法の概要(ただし、責任原因は否認)。

7  被告浜口久代

右被告が豊田商事の従業員であつたこと、請求原因(2)(一)のうち、豊田商事が本件契約により多数の者から資金を集めていたこと及び豊田商事では営業社員が一定の「マニュアル」に従つて勧誘行為を行つていたこと並びに同2(三)のうち、営業社員が社内教育及び上司の指揮に従い勧誘行為をしたこと及び固定給の外に歩合給の支払を受けていたこと。

第三  豊田商事の商法の概要

《証拠略》によれば、以下のとおり認めることができる。

一  豊田商事の営業の実態

1  豊田商事の沿革

破産管財人の調査によれば、豊田商事の営業は、昭和五二年ころ名古屋市において永野が個人で「豊田商事」の商号で金地金の商品取引名下に顧客から金を集め始めたことに端を発するものとみられ、永野は昭和五三年七月八日東京都中央区銀座七丁目一八番一三号を本店として「豊田商事株式会社」(以下「旧豊田商事」という。)を設立し従来どおりの営業をしていたが、同社は昭和五四年末に事実上倒産した。しかし、永野を中心とするグループは、その後も営業を続け、昭和五六年四月二二日大阪市北区梅田一丁目一番三号を本店とする「大阪豊田商事株式会社」の設立登記をし、同社は昭和五七年九月二七日商号を「豊田商事株式会社」に変更した。これが豊田商事である。豊田商事は、登記上は旧豊田商事とは別法人であつたものの、実質的には旧豊田商事の人員、店舗、営業を引き継いでおり、旧豊田商事の第二会社というべきものであつた。

2  本件契約及び本件商法の性質

豊田商事が営業活動の中心として行つていた純金ファミリー契約証券の取引は、純金の購入を顧客に勧め、顧客が買う気になつたところで、金地金を自分で保管するのは大変だから会社に預けてくれれば有利に運用して「賃借料」を前払いすると説明し、金地金の売買代金名下に一年間分の「賃借料」を差し引いた金員の支払を受け、その代わりに証券記載の契約期間満了日に金地金を返還する旨の文言を記載した証券を顧客に渡す商法(本件商法)である。顧客は、金地金を実際に購入した上これを会社に預けておくものと思い、しかも「賃借料」を前払い(一年ものの契約以外の契約の「賃借料」も年一回ずつ前払い。)してくれるというので、本件契約に応じていたが、右取引の実質は、業として行う預り金又は信託の引受行為に該当すると解されるものである。

すなわち、本件商法の本質は、後述のとおり、不特定多数の者からの金銭の受入れであつたが、豊田商事は、出資法(出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律)及び信託業法の適用を潜脱するため、純金の売買契約と「賃貸借」契約を組み合わせることによつて、取引形式上顧客に純金を売却して売買代金を受け取り、その一方で顧客から純金を「賃借」して「賃借料」を支払い、期間満了時に純金を返還することを約束するという法形式をとつていたものであつて、これを業として行う本件商法は、刑罰法規に対する脱法行為というべきものであつた。

また、顧客に本件契約を締結させることを目的とする豊田商事の本件商法(なお、その詐欺的性格については後記二のとおり。)は、テレフォンレディーと呼ばれる電話係が、顧客の家族関係、資産状況、購入の意思の有無等できるだけ情報を収集し、その情報に基づいて営業社員が直ちに顧客の家に直行し、数時間、時によつては一〇時間以上も粘つて契約を締結させるという強引なものであつた。しかも、顧客には六〇歳以上の老齢者や主婦等純金投資に無知な層を狙つていた。営業社員は、このような顧客に対し、純金投資の利点として、<1>純金は現金と同じである、<2>純金には税金がかからない、<3>純金は値上がり益が大きい等の唱い文句を並べて販売するのが常であつた。

しかし、顧客の純金購入数量に相当する金地金は実際には購入されていなかつた(各支店、営業所には、顧客に見せるだけのために、一キログラムバー一本(まれに二、三本)、五〇〇グラムバー一本、一〇〇グラムバー二ないし五本程度しか置かれていなかつた。)。

この純金ファミリー契約証券には、当初、「賃貸」期間により一年もの、二年もの、三年ものの三種類があり「賃借料」は、純金の購入価格に対し、それぞれ一〇パーセント、一七パーセント、二二パーセントであつたが、一年もの以外はあまり契約されなかつた。本件契約においては、期限が来て顧客に金地金を返還しなければならない場合、金相場の変動によつて豊田商事に若干の利益が生ずることがあつても、これを営業として総体的に見れば、契約時に受け入れた金員以上にコストのかかる金地金又は現金の返還を必要とするものであつた(金相場は、昭和五五年一月一グラム当たり六四八五円を記録したことがあつたが、その後豊田商事の倒産時まで下落傾向が続いていた。)。したがつて、豊田商事の営業は、償還のために更に多くの本件契約を締結し、それにより導入した資金で顧客に現金又は金地金を返還するという自転車操業を続けることにならざるを得ない構造のものであることが社会的にも明らかであつた。さらに豊田商事は、できるだけ顧客に金地金を返す時期を遅らせる必要から、昭和五八年七月ころ契約期間が五年の純金ファミリー契約証券の取引を企画営業し、昭和五九年以降はこれを原則とするようになつた。これは毎年純金購入価格の一五パーセントの「賃借料」を顧客に支払うというもので、合計すれば五年で七五パーセントという高額の「賃借料」の支払を約束するものであつた。そして、一年ものの本件契約については、その期限到来の際、執拗に契約の継続(更新)を求め、約八五パーセントもの高率で契約を継続させ、しかも五年ものに切り替えさせて行つた。

3  レジャー会員権商法

右のように、豊田商事の営業内容は、結局は若干の金、白金等の現物取引と圧倒的多数の純金ファミリー契約証券取引であつたが、本件商法は、本件契約の期限が来れば顧客が購入した数量の純金を顧客に引き渡さなければならず、豊田商事にはもともとそれだけの純金の保有がなく、契約どおりの償還に応じることができる収益もなかつたから、その償還のためには新たに資金導入を必要とし、次々と契約を拡大していかなければならないものであつた。しかし、この方法では、本件契約が無限に広がらない限り、破綻を来すことは容易に予想されることであつた。

そこでその破綻を一時的に回避するために考えたとみられるのが、純金ファミリー契約証券を、償還の要らない利用権のみのレジャー会員証券に切り換える商法であり、この場合のレジャー会員証券は、預託金制度ではなく、売り切りの形にするもので、レジャー会員証券取引が強力に推進されたのが、昭和五九年四月の銀河計画株式会社(以下「銀河計画」という。)設立の後であつた。

右レジャー会員証券には、大きく分けてゴルフ関係と海洋レジャーのマリーン関係があり、他に総合レジャークラブ会員証券もあつた。レジャー会員証券の内容は、ゴルフ関係では、「メンバーズ契約」と呼ばれる株式会社豊田ゴルフクラブ(以下「豊田ゴルフクラブ」という。)傘下の全てのゴルフ場を利用し得る共通会員証券(コパー会員等額面が異なる七つの種類がある。)と、「メンバーズ契約」の顧客の権利を豊田ゴルフクラブが賃借して(期間一〇年)、年一二パーセントの賃借料を支払うという「オーナーズ契約」と呼ばれる本件契約類似の証券があつた。マリーン関係等も同様の仕組みである。

右レジャー会員証券のうち、ゴルフ関係の販売は鹿島商事が、マリーン関係の販売は大洋商事株式会社(以下「大洋商事」という。)が取り扱つていたが、豊田商事は、昭和六〇年六月一日以降これらすべてを取り扱うこととし、同月一一日以降、純金ファミリー契約証券の営業を中心して右レジャー会員証券の販売のみに切り替えていた。

レジャー会員権商法は、後に詳細に検討するとおり、豊田商事がその組織を挙げて拡大し、膨大な償還不能債権を生み出した本件商法の犯罪的性格を糊塗するために考え出したとみられるものであるが、利用対象となる施設自体極めて不十分で資産価値の乏しい会員権をいかにも価値のあるもののように装い、将来不可避的に破綻することが予見されたのに、これを隠して敢行した詐欺的商法というべきものである。

4  営業の推移

豊田商事の設立当時の支店及び営業所は旧豊田商事時代からの大阪、福岡、岐阜、名古屋等の数か所にすぎなかつたが、数か月後に東京の池袋に進出し、その後全国に支店、営業所等を増やし続け、昭和六〇年四月当時の支店、営業所は六〇か所を数えるに至つた。これに伴い社員数も増大し、最盛時には約七五〇〇名の社員を擁し、その一か月の給与、報酬だけでも約二五億円に達していた。

豊田商事が顧客から集めた資金も急激に増え、昭和五六年一月には一〇億円を、昭和五七年七月には二〇億円を越え、昭和五八年一月には三〇億円、三月には四〇億円、七月には五〇億円を越えた。昭和五八年八月からは、マスコミ等の批判により四〇億円前後で推移したが、昭和五九年三月には再び五〇億円を越え、六月七九億円、七月八九億円となつた。その後半年間は七〇億円程度で横ばいであつたが、昭和六〇年三月には九八億円を突破し、四月には九二億円となつた(この間の事情は後記三2のとおりである。)。しかし、五月には六三億円に急落し、破産宣告前の六月にはわずか一〇億円程度に落ち込んだ。

二  本件商法の実態

1  本件商法の反社会的性格

(一) セールスの欺罔性

豊田商事の本件契約は、顧客に純金(現物)がいかに安全で有利な投資かということを縷々述べて金地金の現物そのものを購入したと思わせ、それを前提にした上で「金地金は持つていると危険だし、当社に預けると利回りのよい賃借料を支払います。」と言つて、契約させるものである。したがつて、本件契約では金地金の現物が会社に保有されていることが前提になつている。しかし、前示のとおり金地金は見本以外には存在せず、豊田商事は顧客に現物を償還する必要が生じた時点で初めてその分の金地金を購入していた。

豊田商事が「金地金は現在、現実に保有していないが、売買代金として受領した金員を有利に運用して、期限が来たら金地金を購入して渡す。」旨金地金を保有しないことについて正直に説明し、セールスしていたら、殆どの客はそのような不確実な契約は締結しなかつたと考えられるのであつて、顧客に売却した金地金を豊田商事が保有していることが契約の重要な要素になつており、本件契約は、金地金を保有していないのに保有しているかのように装つていたという点で、既に欺罔性を有していた。

(二) セールス方法の欺瞞、違法性

豊田商事のセールス方法の特徴は、極めて巧妙かつ強引なセールスが、会社ぐるみで組織的に実行され、しかもそれが老齢者や主婦笄に対して集中的に行われたことにある。

まず、巧妙という点では、純金のイメージを最大限に利用し、純金の価値の確実性、安全性を説くとともに、顧客に金の現物を取得するという錯覚を生じさせ、「金は絶対に損しない。」と信じさせていた。顧客は、純金の現物があるから安全であると考え、また、金は確実に値上がりするというセールス・トークを信じたからこそ契約したのである。しかし、金の価格は上昇するばかりでないことはもちろん、前示のとおり金相場は下落の傾向を続けていた。また、純金の売買契約がいつたん本件契約に変わつてしまうと、契約証券の交付を受けるだけで確実安全という要素は全くない。にもかかわらず、顧客は巧妙な話術等のセールス方法によつて右事実に気付かないようにさせられた。

しかも、テレフォンレディーと呼ばれる女子従業員が、殊更親しげに電話で勧誘しつつ、顧客の資産状態などを聞き出し、そのデータに基づき営業社員が顧客の家に直行し、数時間、時によつては一〇時間以上も粘つて居座り続け、炊事洗濯等の見せ掛けの親切行為をしたり、泣き落としにかかつたり、豪華な設備を施した支店等へ連れ出して、管理職以下皆で契約を迫つたりするなど、会社ぐるみであらゆる手段を使つて契約を締結させていつた。

営業社員は、顧客宅に入る前はもちろんのこと、入つた後でも話の途中及び退出時に、それぞれ電話で上司に報告することを義務づけられ、また、テレフォンレディーも営業社員も顧客の動向についての報告書を書くこととされていた。そしてこのようなセールスの背景には、異常なまでに高額な営業歩合や賞金、管理職手当の支給があつた。営業社員は、一般の水準を上回る固定給に加えて、後記第五の三4及び5に認定のとおり、高額な歩合報酬が支給されただけでなく、成績上位者には賞金が出されていた。営業内勤と呼ばれる管理者は、当該支店、営業所、課が本部から指令された月間ノルマを達成すると、歩合給たる管理職手当と同額の賞金が支給された。このように、豊田商事は、営業成績の良い者には極めて多く、悪いものには極端に少なくなるような報酬のシステムを作り、営業社員及び管理職が一体となつて顧客に本件契約を締結させ、ノルマを達成させる仕組みになつていた。

さらに、営業社員は、契約の主な対象となつた主婦や老齢者に対し、翻意しないように他の家族に話さないように口止めしたり、預貯金の払戻しに同行したり、顧客の家族になりすまして払戻手続きを代行する等、およそ社会的相当性を逸脱した形で顧客に契約を締結させ、その資金を会社に吸い上げていつたのである。

これらを見るとき、豊田商事の本件商法は、営業行為としては許されない極めて不当なもので、公序良俗に反する違法なものであつたというべきである。

2  本件商法の破綻の不可避性

(一) 豊田商事の企業体質

(1) 豊田商事は、設立(昭和五六年四月二一日)から破産宣告(昭和六〇年七月一日)までの間、損益計算書において次のとおり損失を計上し続けていた。

第一期(昭和五六年四月二一日から昭和五七年三月三一日まで) 八億八七六三万〇八八九円

第二期(昭和五七年四月一日から昭和五八年三月三一日まで) 三〇億二九七九万〇四一一円

第三期(昭和五八年四月一日から昭和五九年三月三一日まで) 三三八億七八七五万一一二七円

第四期(昭和五九年四月一日から昭和六〇年三月三一日まで) 三一九億九〇九二万〇六〇二円

第五期(昭和六〇年四月一日から昭和六〇年七月一日まで) 一四二億〇六二〇万五四三二円

損失の合計 八三九億九三二九万八四六一円

(2) 右損失の合計額を豊田商事の収入総額との比較においてこれを見ると、右第一期から第五期までの収入の総額は一二二七億一七七九万円であり、収入総額の六八パーセントが損失となつている。

収益を目的とする一般の企業にあつては、収入額の六八パーセントにも当たる損失を計上し、しかもこのような巨額の損失を設立から破産まで毎期恒常的に発生させるということは考えられないことである。このことは、豊田商事が、設立当初から、その体質において、本件契約に基づく償還債務を確実に履行して行くことができるような営業収益を上げる実業を目的とせず、ひたすら顧客から資金を吸い上げることによつて営業の存続を図つていたことを明白に物語つているといわなければならない。

なお、前記の収入及び損失額は決算書上に現れたものであり、収入の中には現実に収入となり得なかつたものも多く、そうすると前記比率は更に著しいものになる。例えば、収入の中の利息収入又は受取利息は、主として銀河計画を中心とする豊田商事グループからのものであるが、これらはいずれも損失を計上する企業であり、その利息収入も現実の収入たり得ないものであつた。その総額は三四億一五五七万円に達している。このほか、家賃収入などにも不払のものが多かつた。

一方、右のような企業体質にありながら、豊田商事の営業社員はセールスの中で豊田商事が多額の利益を上げている会社であるかのように宣伝していた。しかし、右宣伝が虚偽であることは、豊田商事の毎期の決算書の収入と損失との対比を見ただけでも明らかであり、豊田商事が詐欺的商法によつて顧客から金員を導入していた組織体であつたことを如実に示している。

(二) 導入資金の運用面から見た破綻の不可避性

豊田商事が破産までに顧客から導入した金員は次のとおりであり、総額二〇二二億円に達している。

第一期 九二億四一〇〇万円

第二期 三〇四億二四〇〇万円

第三期 五四〇億七五〇〇万円

第四期 九二一億八九〇〇万円

第五期(三か月) 一六二億七一〇〇万円

合計 二〇二二億円

ところで、豊田商事が導入した金員については、そのうち、顧客に対し、金地金の償還、解約金、「賃借料」名義で約五五〇億円が返還されている。これを第四期で見ると、顧客に対する返還金は二九五億三五〇〇万円であり、導入金(九二一億八九〇〇万円)の三二パーセントである。

また、豊田商事の役員、管理職、営業社員などに対する歩合報酬や賞金などとして六〇〇億円が費消されており、これを含む販売費及び一般管理費の支出は八六〇億円に達している。これを第四期で見ると、販売費及び一般管理費は四〇八億六八〇〇万円であり、顧客に対する返還金を除いた豊田商事の導入金(六二六億五四〇〇万円)に占める割合は六五・二パーセント以上になる。

豊田商事は、右返還金、販売費及び一般管理費を除いた金額を商品取引相場への投機資金又は関連事業に対する貸付金として費消してきたが、その金額は約六〇〇億円であり、そのうち、回収の見込みのない商品取引相場への投入金額は約一一〇ないし一二〇億円である。

関連事業(豊田商事名義で行つた事業投資も存するが、殆どは関連会社名義の事業である。)に対する貸付額は、ゴルフ関係、マリーン関係など約五〇〇億円であるが、いずれも採算性が悪く、収益も殆ど見込めないものばかりであつた。

豊田商事は、右貸付金に関して、投資先の各関連会社から月一パーセント(年一二パーセント)の利息を収受していたにすぎず(しかもその多くは、未収金勘定に計上されている。)、関連事業に対する投資収益は右の利息収入に尽きていたのが実情であつた。

ところが、豊田商事は、導入資金の運用が右のようであつたにもかかわらず、本権契約の顧客に対して高額の「賃借料」を支払うという誘惑でこの契約の拡大を図つた。右「賃借料」は五年ものの場合、年一五パーセントであり、これを第四期の導入金九二一億八九〇〇万円に対するものとして見ると、「賃借料」だけで一三八億二八三五万円を要することとなる(年一〇パーセントの「賃借料」としても九二億一八〇〇万円である。)。そうすると、右に述べたように前記貸付金五〇〇億円に対して収受可能な利息収入は約六〇億円しか見込めないのであるから、本件商法が遠からず破綻することは明らかであつたというべきである。

三  破産宣告に至る経緯

1  銀河計画の設立

前示のとおり、本件商法は、これが企画された当初から詐欺的なものであつて、本件契約の拡大・継続による自転車操業も早晩行き詰まることが必至であつたことから、豊田商事の幹部が延命策として考えたのが、<1>銀河計画を中心とする豊田商事グループ各社の設立であり、<2>レジャー部門への進出と会員権商法であつた。

すなわち、豊田商事は、本件商法の詐欺的性格の暴露を回避するために、約一二〇社にも上る豊田商事グループ各社を設立し(しかし、実際には登記だけのいわゆるペーパーカンパニーが多かつた。)、更に豊田商事グループ全体の中核として、グループ全体の金融財務部門を統括し、豊田商事や鹿島商事、大洋商事等から資金を吸い上げ、これをグループ各社に分配するため、昭和五九年四月銀河計画を設立した。

銀河計画は豊田商事グループ全体の人事や資産管理、及び毎月の必要経費の資金準備等すべてを行い、豊田商事グループの会員権商法に関する企画、検討も銀河計画の企画本部でされていた。

しかし、右レジャー部門への進出と会員権商法の展開は、不良資産や過剰な人的、物的設備への投資のために、かえつて豊田商事の資金繰りを悪化させ、破綻を早める結果を招いた。

2  豊田商事の営業の行き詰まり

(一) 豊田商事の財政的破綻

右のような状況の中で、豊田商事は、自らと豊田商事グループの延命をはかるべく、懸命の顧客拡大作戦を展開した。レジャー部門への進出後も、豊田商事グループの集金部門における主力は純金ファミリー契約証券であり、この売上導入金なくして、豊田商事の存続ひいてはグループ全体の存続はあり得なかつたのである。

昭和六〇年二月豊田商事は、従業員の役員や管理職への抜擢、報酬の引上げなどを内容とする新体制を確立し、会社組織一丸となつて、必死に顧客勧誘に乗り出した。このため、前記のとおり、同年三月の純金ファミリー契約証券による導入金は約九八億三五〇〇万円(月別最高額)、同年四月のそれは九二億二一〇〇万円(同第二位)を記録するに至つた。

しかしながら、一方で、同年三月には従業員の源泉所得税を支払えない状態となり、同月一〇日期限の二月分の源泉所得税約一億二〇〇〇万円を納付せず、同年四月には松本祐商事株式会社から月三分の高利で一〇億円を借り入れなければ資金繰りが不可能になつた。同年五月に入り、純金ファミリー契約証券売上高が前月比約二九億一五〇〇万円の減となつた上借入れもできず、総額約二五億円に上る従業員の給与の遅配になつた。さらに、豊田商事は、従前履行してきた被害者に対する和解金のうち、合計一億円以上と推定される同年五月末の支払をすべて中止するに至つた。

(二) 世論の批判と捜査

マスコミは、昭和五六年九月に既に豊田商事の本件商法を取り上げ、その後も断続的に報道やキャンペーンを繰り返した。特に昭和五八年半ばころに被害者からの訴訟が全国的に頻発したため、集中的に豊田商事の批判報道がされた。

昭和五九年三月には衆議院予算委員会で豊田商事の商法が問題になり、警察庁は「関心をもつて調査している。」と答弁した。また、永野は、被害者らによつて、大阪地方検察庁に詐欺及び出資法違反の被疑事実で告訴された。同年七月には豊田商事金沢支店の営業係長が強引なセールスをしたという理由で石川県迷惑防止条例違反容疑で逮捕された。その後も被害者からの仮差押や訴訟が続いたため、昭和六〇年二月豊田商事の商法が再び衆議院予算委員会で取り上げられ、警察庁は「庶民の弱みにつけ込んだ悪徳商法については重点的に取り締まるように指示している。」との見解を示した。

そして、同年四月、ゴルフクラブ会員証券を売る鹿島商事の営業社員が詐欺容疑で警視庁、神奈川県警察に逮捕され、鹿島商事の営業所が捜索を受け、大量の書類が押収された。この捜査をきつかけに、再びマスコミのキャンペーンが展開された。

このため、豊田商事をはじめ豊田商事グループの幹部らは刑事事件として追及されることを恐れ、同年四月一一日ころから膨大な関係書類とともに同グループの財務本部を香港に移し、その後証拠湮滅の目的で関係書類を廃棄した。

さらに、同年六月一五日兵庫県警察による外国為替管理法違反容疑による豊田商事の強制捜査があり、同月一七日豊田商事の代表取締役であり、グループの総帥である永野が兵庫県警察の事情聴取を受けるに至つた。

(三) 破産宣告

以上のような状況の中で、豊田商事は、昭和六〇年六月一〇日ファミリー契約証券の販売を中止し、その資産導入源が断たれることになつた。

そして、前記事情聴取の翌日(同月一八日)永野が刺殺され、同年七月一日豊田商事に破産宣告がされた。

第四  原告らの損害

《証拠略》によれば、原告らが、それぞれ別紙被害状況一覧表の「契約日」欄記載の日(ただし、その中には、当初契約の期間満了に伴い、本件契約の継続(一年ものの契約を五年ものの契約に切り替える場合を含む。以下「更新」という。)を承諾させられた日付をもつて契約日としているものがある。この場合、当初契約日は更新日付の一年前と推認される。)に、同表「支店」欄記載の支店に所属する同表「担当営業員」欄記載の従業員及び当該支店の管理職の地位にある者の行為によつて、同表「グラム数」欄記載の量の金地金の購入契約及び本件契約を締結させられて(なお、原告らは、右更新日付をもつて契約日としているものについては、当初契約の締結時に不法行為及びこれに基づく損害の発生があり、更新時において新たに更新に関与した者は、その時点で右損害の回復を不能又は著しく困難ならしめる不法行為を行つたものであつて、両者は不真正連帯の関係に立つものと主張している趣旨と解され、後述(第六の二)のとおり、その見解は正当なものである。)、同表「支払金額」欄記載の金員を支払わせられ、その結果同表「損害額」欄記載の損害を被つたこと、そしてこれを担当従業員及び当時各支店の管理職の地位にあつた者ごとにその行為の態様を要約すると、別紙加害状況一覧表記載のとおりであることが認められる(なお、請求原因1(一)記載のとおり、亡飯田富美代については原告飯田勝が、亡萩原京蔵については原告萩原照子・同菊地千恵子が、それぞれ相続によりその権利を承継した。)。

第五  被告らの責任

《証拠略》を総合すると、以下のとおり認めることができる。

一  被告らの地位

別紙被告目録第二記載の各被告は、別紙取締役経歴役職等一覧表及び別紙取締役在籍一覧表記載のとおり、豊田商事の取締役又は監査役の地位にあつた者であり、右被告らを除くその余の各被告は、豊田商事の元従業員であり、そのうち、被告吉田景子を除くその余の各被告は、別紙管理職在籍一覧表記載のとおり、豊田商事のサンシャイン第一支店、同第二支店、同第三支店、銀座第一支店及び同第二支店の支店長、部長、次長、課長又は係長の席に在籍していた。

二  豊田商事の組織とその構成員の責任

1  組織の構成

豊田商事の組織構成は、大きく分けると「営業部門」「総務部門」「管理部門」に分かれていた。地域的には大阪本社と東京本社を置き、全国を二つに分けて、名古屋地区(浜松支店を含む。)以西の西日本は大阪本社の統括、東日本は東京本社の統括としていた。また、右二つの本社の下に全国で九の支社を置き、昭和六〇年四月当時その支社に属する支店及び営業所が前示のとおり全国に六〇か所置かれていた。

そして、実際の営業の一番大きな単位は支店であり、支店ごとに営業活動を展開していたが、各支店内部の組織として、概ね「営業」「テレフォン」「総務」「管理」の各部門が置かれていた。

2  営業部門

(一) 各支店の営業部門には、営業管理職として支店全体の統括責任者を兼ねる「支店長」が一名、「部長席」が一名、「課長席」が二名置かれ、純金ファミリー契約証券の販売促進、社員教育、売上管理、社員採用等に当たつていた。また、営業社員として、「係長」「主任」「ヘッド」「正社員」「見習社員(研修社員)」の区分が設けられ、それぞれの営業成績(顧客からの導入金額の多寡)に応じて、昇格、降格がされていた。なお、昭和六〇年三月以降研修社員の制度が廃止され、月給制となり、「社員」と呼ばれるようになつた。

営業部の構成は、原則として一つの課に四つの係が置かれ、さらに一つの係には五名の営業社員を配置し、一課二〇名の態勢で営業活動に当たつていた。

(二) 豊田商事に入社して営業部門に配属されると、まず、研修社員として、後記三1に認定のような徹底的な教育により営業社員としての訓練を受ける。すなわち、入社後一週間から一〇日前後の研修期間をかけて、各種の文書教材、ビデオテープ、管理職による講義等により、第三の二1(二)に認定したようなセールス・トークの徹底的な暗記と実践方法を教え込まれ、また、現物を売つていたのでは、ろくな営業歩合報酬を得ることができないことが明らかな給与体系の内容、計画方法を教え込まれた。

具体的には、豊田商事で売上として計上され、社員の歩合等の算定の対象とされる金額は、現物取引の場合は金地金の売買手数料(売買数量によつて異なるが、売買代金の二ないし三パーセント程度)だけにすぎないが、本件契約の場合は売買代金額から初年度「賃借料」(売買代金額の一〇ないし一五パーセント)を差し引いた残額(導入金額)が対象となることを教え込まれる。

こうして研修社員は一通りの研修を受けた後、見習社員として実際の営業に出されることになる。

(三) その後は社員の導入金額(豊田商事ではこれを「導入ゲージ」という。なお、詳細は後記三4のとおり。)の多寡に応じて、前記の営業部内の役職を上下するが、各役職に応じてノルマが決められ、これを下回れば降格された。具体的には、昭和五九年三月当時の昇格基準では、月の導入ゲージが三〇〇万円に達成した月から自動的に正社員(黒バッチ)になり、正社員は、月の導入ゲージが八〇〇万円以上で、営業本部に役職者として相当と判断されるとヘッド(黒バッチ)になり、ヘッドは、二か月の合計導入ゲージが一六〇〇万円以上で、営業本部に役職者として相当と判断されると主任(赤バッチ)になり、主任は、二か月の合計導入ゲージが二四〇〇万円以上で、営業本部に役職者として相当と判断されると係長(緑バッチ)になる。係長は、二か月の合計導入ゲージが三二〇〇万円以上で、営業本部に外勤向きと判断されると「(外勤)係長課長待遇(金バッチ)」となり、また、係長としての成績を上げ続け、営業本部に管理職として適任と判断されると「係長課長席」に昇格する仕組みになつていた。

降格については、原則として正社員から見習社員への降格は二か月の導入ゲージの合計が二〇〇万円以下の場合、ヘッドから正社員への降格は二か月の導入ゲージの合計が四〇〇万円以下の場合、主任からヘッドへの降格は二か月の導入ゲージの合計が六〇〇万円以下の場合、係長から主任への降格は二か月の導入ゲージの合計が八〇〇万円以下の場合、「係長課長待遇」から係長への降格は二か月の導入ゲージの合計が一〇〇〇万円以下の場合とされていたが、ヘッド以上「係長課長待遇」までの者は、一か月の導入ゲージが〇の時は罰として直ちに降格となるが、係の長で導入ゲージが〇ではなく、担当の係全体の一か月の導入ゲージが三〇〇〇万円以上なら降格は免れることになつていた。

豊田商事では、後に述べるように役職が上がるにつれて給与、報酬も上がる仕組みになつていたが、右の昇格、降格の仕組みを見ても、本件契約の顧客をいかに多く獲得して導入金額を増やすかが社内での待遇を良くする唯一の方法であつたことが明らかである。

(四) ところで、豊田商事では、固定給の給与体系上の「部長」「次長」「課長」「係長」「主任」「ヘッド」「正社員」の区分と実際の営業組織における上下関係上の名称は必ずしも一致しておらず、営業組織上の上下関係においては、「支店長」を除き、それぞれの役職に「席」という言葉を付した呼び名を用いていた。そのため、営業組織としての「課長席」に給与体系上の「課長」が座るのが原則であるが「係長」が「課長席」に座ることもない訳ではなく、逆に、一つの支店に給与体系上の「課長」となつた者が三名以上いる場合には、「課長」としての成績の順に一課、二課の「課長席」に就き、その次の者は「係長席」に就くこともない訳ではなかつた。このように豊田商事では、給与体系上も営業組織上も、いずれにしても営業成績の善し悪しによつて、社員の上下関係が決められていた。

また、後記三4及び5に認定のとおり、豊田商事においては、「係」を最小の単位として営業ノルマが課され、その反面「係長席」以上の役職者には、自己の勧誘した顧客からの導入金額だけでなく、「係」や「課」「支店」全体の導入金額に応じた営業管理職手当(ただし、「係長席」については「係長席手当」と呼ばれていた。)が支給された。

(五) 支店長以下「係長席」までの地位にあつた役職者がその在職中本件商法の遂行に寄与し、果たしていた役割は、おおよそ次のとおりである。

(1) 支店長

<1> 営業行為-社員が支店に連れてきた顧客に対して自ら契約を勧誘したり、買い増しを慫慂したり、解約を阻止したりし、営業社員らではなかなか成功しない顧客に対する新規勧誘、買い増し、解約阻止について、自らあるいは他の「部長席」や「課長席」と共同して、強引に顧客に契約を承諾させるいわゆる「仕上げ」を行つていた。

<2> 支店全体への営業方針の徹底-支店長会議に出席したり、本社からの通達等によつて指示、指揮、命令された事項あるいは他の管理職とともに決定した営業方針などを支店全体に徹底し、本件商法を遂行していた。

<3> 支店全体の成績向上のための日常的な指示、監督、叱責-朝礼やミーティングの機会、あるいは日常的な営業活動に際して、顧客宅などから連絡をしてきたり、あるいは顧客宅での勧誘が担当営業社員だけでは困難な(苦しい)時に「ヘルプ」を求めてきた社員に対し、自ら又は部下の「部長席」「課長席」などを通じて、契約獲得や解約防止についての指示、指導、叱責を行い、導入金の獲得とその減少防止を図つていた。

<4> 採用及び教育-新たな営業社員の募集とその採用を決定し、更に見習社員の研修や社員のセールステクニックの向上のための教育や訓練を行つていた。

右のとおり、支店長は、本社の営業方針を体して、支店全体としていかに多くの導入金を獲得するか、また、いかに解約を少なくして会社から資金が流出するのを防ぐかということに全力を尽くしていたものであり、少なくとも、その在職期間中当該支店において発生させた原告らの前示被害について、本件商法の実行責任を免れることはできない。

(2) 「部長席」

「部長席」は、支店長の代理あるいは補佐役として、日常的な営業の現場にあつて、右(1)の<1>ないし<4>の役割を担当していたが、テレフォン部門から回つてきた「面談表」を「課長席」を通じて営業社員に配布して、実際の営業セールスに行かせるなど、専ら営業成績の向上に向けての指揮、監督、叱責等が中心であり、自ら「仕上げ」を担当することもしばしばであつた。したがつて、支店長と同様に、本件商法の実行責任を免れることはできない。

(3) 「課長席」

「課長席」は、「面談表」を基に課の営業社員に訪問先を指示し、あるいはセールス方法を指導するなどして、課内の営業社員がより多くの契約を取ることを通じてノルマを達成し、課全体の成績を向上させることがその役割であつた。「課長席」は、「面談表」に基づき営業社員の「行動予定一覧表」作成し、営業社員の行動(営業)予定を把握し、監督するとともに、セールスに出た営業社員と常に連絡をとり、営業社員が勧誘している顧客に関する報告を受けるばかりでなく、勧誘がうまく行かない場合などには具体的な勧誘やセールス方法についての指示、命令を与え、あるいは電話連絡をしてきた営業社員との間で「キャッチボール」という非常に欺瞞的なセールス手法の相手方を担当した。

また、セールスに出た営業社員だけでは契約がとれそうにもない場合には、他の営業社員を応援に行かせたり、自ら応援に行つたりして契約獲得の「ヘルプ」を行い、営業社員が支店に連れてきた顧客に対し自ら応対して顧客に契約をさせる「仕上げ」を担当し、解約にきた顧客に対しては解約を阻止するための話術を駆使し、解約を阻止していた。さらに、「課長席」は、支店の管理職会議のメンバーとして、支店全体の営業方針(ノルマ達成のための方策や有効なセールス手法の開発、実践等)の決定にも関与していた。したがつて、「課長席」の地位にあつた者が、当該課の営業行為について、その実行責任を負うべきものであることは明らかである。

(4) 「係長席」

「係長席」は、自ら営業社員として「面談表」に基づき営業セールスにでかける一方で、「係」全体のノルマ達成のため、自己の担当する「係」の他の営業社員の営業活動についても、前示のような「ヘルプ」要員として顧客宅を訪問し、その営業社員と一緒に契約獲得に当たつていた。また、支店に同道されてきた顧客の勧誘を担当することもあつた。「係長席」の地位にあつた者の実行責任は明白である。

3  テレフォン部門

テレフォン部門には、通常テレフォン部門全体の責任者として管理職一名とその補助管理職一名が配置され、テレフォンレディーと呼ばれる女性のパート従業員が七〇名ないし一〇〇名程度いて、電話勧誘を行つていた。テレフォン部門の管理職の仕事は、テレフォン業務の指揮、管理及びテレフォンレディーの採用と教育であつた。

テレフォンレディーは時給八〇〇円ないし一〇〇〇円の給与の外に、自分が面談の約束を取りつけた顧客が本件契約に至ると一件につき一万円の賞金が出た。

このテレフォン部門の活動が営業部門の活動と密接不可分の営業活動として位置づけられ、本件商法の推進・拡大に重要な役割を果たしたことは後記三2の事実からも明らかである。

4  総務部門

総務部門は、統括責任者である管理職が一、二名と、一〇名前後の内勤社員で構成され、営業事務上の書類、文書管理、入出金の取扱い、給与計算、その他の一般事務を行つていた。

総務部門は、営業活動そのものを行つたものではないが、豊田商事の営業組織の回転ひいてはその組織的活動としての本件商法の遂行を円滑・機能的にすることを職責としていたのであり、その管理職及び内勤社員が営業部門の営業活動を幇助していたものであることを否定することはできない。

5  管理部門

管理部門は、通常、指揮統括する責任者の管理職一、二名と数名の管理社員で構成されており、顧客管理、契約進行の管理、顧客や顧客の代理人である弁護士又は各地の消費者センター等との間に生じた問題への対応と交渉等を行い、本件商法に対する顧客の不満をなだめ、豊田商事の営業組織を防衛するため、その全力を挙げていた。

管理部門の管理職及び管理社員は、右のような折衝活動を通じて、本件商法及びその営業活動等の実態を十分認識しながら、問題が大きくならないように腐心し、本件商法の維持・継続・遂行を図り、本件商法による被害を拡大させていたのであるから、少なくとも、その在職期間中に発生した原告らの被害については、共同不法行為責任を免れないものといわなければならない。

三  本件商法の違法性とその認識の可能性

1  豊田商事の教育システムとその内容

(一) 豊田商事の社員教育は、研修社員に対する一週間から一〇日間程度の研修から始まり、これらの研修においては、まず「金」を売り込むことについてのセールス・トークの徹底的な暗記とこれに基づくセールスの実践方法の体得、訓練がされた。

これらの教育には、主として営業管理職が当たり、永野自身が公言していたように、顧客の逃げ道を塞ぎ、顧客自身が契約をせざるを得ないような状況を作り出して契約を締結させる方法及びその手順が具体的に記載されている手引書やそれらのセールス方法が現実のセールス場面として展開されているビデオ等を使用して行われた。

そこで教育されることは、具体的には顧客宅に上がり込むテクニックから始まり、いつたん上がり込んだら金の安全、有利性を強調して顧客が根負けするまで又は顧客が畏怖するまで居座り続けるためのノウハウ、顧客が金の購入を希望していない場合等に、顧客から予想される反論に反駁して顧客の逃げ道を塞ぐ手法まで、具体的な方法やその手順を上げて教え込まれた。

また、右のように金の購入を強引に承諾させる手法ばかりでなく、顧客にどの程度までの総金額の純金ファミリー契約証券を売り込めるかを見極めるため、顧客から、その保有する資産内容を、銀行・郵便局の預貯金の種類・金額、有価証券、金銭その他の信託財産の内容、更に所有不動産から生命保険契約の内容等に至るまで、洗いざらい聞き出すことがいかに重要か、そしてこれらの事項を聞き出すためのテクニックが具体的に教え込まれた。

さらに、顧客が不在の場合の対処法から始まつて、顧客を会社(支店又は営業所)へ連れてくるための具体的な手法まで教え込まれたのである。

顧客を会社に連れて来させるのは、営業社員の勧誘だけでは契約をしないか、あるいは渋つている顧客に対し、担当の管理職らが総出で勧誘し、承諾しなければ会社から退去できないと思わせるような気勢を示し、又はそのような心理的状況に追い込んで、強引に契約を取りつけるためであり、また、契約をした顧客の場合であつても、会社を信用させ、あるいは右のように承諾しなければ帰れないと思わせることによつて契約数量を更に増加させて契約させるためである。

(二) 豊田商事では正社員等についても、毎日出勤時から営業に出かけるまでの間に行われる朝礼の際に具体的な勧誘のノウハウ等についての指示が行われていたし、また、実際に営業に出てもなかなか契約がとれない営業社員に対しては、営業管理職がこれまでの経験に基づき、門前払いを受けた顧客宅への入り方や顧客宅での粘り方等を具体的に教示してこれを実行させる一方で、顧客宅へ入る前、勧誘の途中、顧客宅を出る際等にも勧誘の方法を営業管理職が教示し、これらの指示又は教示を実践できなかつた営業社員に対しては「帰つてくるな。」「もう一度客のところに行つて話をしてこい。」等厳しく叱責するなどして、日常的に顧客に契約させるための手法を営業社員に対し厳しく教育していた。

2  営業方法の反社会性

(一) 豊田商事では、まずテレフォン部門で、テレフォンレディーが電話帳やその他の名簿類を使い、無差別に電話を掛けては「金を扱う総合商社」との口上で話を始め、金購入の安全、有利性と豊田商事の優良企業性を誇大に強調した上、金に対する知識の有無、金に対する興味の有無、金の購入希望の有無等を会話の中で巧みに聞き出し、少しでも興味を示した顧客に対しては「直ちに営業社員を向かわせるから説明を聞いてほしい。」旨たたみ掛けて訪問のアポイントメントを取るよう指導され、この電話による勧誘の場合も、なるべく電話での会話の時間を延ばして、当該顧客の資産状態、興味、希望の有無を聞き出し、顧客の反応をみるためのさまざまな電話トークのノウハウが教え込まれていた。

テレフォンレディーによつてアポイントメントが採られた顧客との会話の内容は、面談用紙に記入され、営業管理職に回される。営業管理職は、これを部下の営業社員に割り振り、営業社員はこの面談用紙を受け取つて営業に出かける。

(二) 訪問先としては、老齢者や主婦等を特に狙い、殊にこれらの顧客が一人で居るときを選んで、その無経験、無防備又は善良さに乗じて契約を締結した場合が多く、その態様は極めて悪質といわざるを得ないものである。

すなわち、訪問先では、最初は世間話などをしながら、顧客の警戒心を緩め、その間家庭内で財産の管理処分について誰が決定権を有するかということや資産状況を探つた上、まず、金の三大利点と称して金地金購入の投資としての安全性、有利性を強調する。金の三大利点とは、前示のように、(1)金は現金と同じでいつでも換金できる、(2)金投資には税金がかからない、(3)金は必ず値上がりする、との三点であつた。しかしながら、(1)についていえば、これが妥当とするのは金の現物を保有している場合で、本件契約を締結すると、契約期間中換金不能となるものである。(2)は虚偽ないし著しく欺瞞的な勧誘トークであり、所得税や相続税等については金も課税の対象とされるものである。(3)についても、そのように断定することはもちろん虚偽で、事実、金相場は下落の傾向にあり、一般の物価上昇率以上の割合で金の価格が上昇していたものでもない。

その他、勧誘の際、「現金や預金を両替するだけ。」「銀行預金を移すだけ。」「通産省から認められている。」「日本銀行に預金があり、政府の保証がある。」「田中貴金属などで買うとすぐ換金できない。」などという表現が使用されることもあつたが、これらは、いずれも、社団法人日本金地金流通協会への加盟が認められず社会的な糾弾を受けている豊田商事を、通常の金融機関と意図的に混同させようとする欺瞞に満ちた勧誘文言であつた。

(三) さらに、最初の段階で善良な顧客との間にある種の親近感を作出した上、これに付け込んで「ノルマがあるので是非買つてくれ。」「買つてくれれば課長になれる。」「買つてくれないと首になる。」などと泣き落としたり、客が買うというまで土下座を続けて困惑させたり、畏怖させる方法も多用された。

長時間、時には深夜まで粘ることも方法として多用された。「五時間トーク」が基本とされ、それ以上に及ぶことも稀ではなかつた。客が対応に疲れ、根負けし、正常な判断力を失つてついに契約を承諾するに至るまで居座り続けることが多かつたのである。

顧客が契約に応じる様子を少しでも見せると、最後の追い込みに入るが、この段階で顧客が資金がないというと銀行等に連れて出して預貯金や保険を解約させたり、「主人や家族に相談する。」というと「秘密にしておけ。」と説得するなどして顧客の逃げ道を塞ぐ方法をとつた。

また、顧客宅から豊田商事の支店に電話をかけ、上司との間で「既に注文をとつてしまつた。」とか「今なら安い価格の現物が残つているがすぐ契約しないと損をする。」などと芝居をして、顧客を幾重もの錯誤に落とし、購入の承諾をさせることも行われた。

(四) こうして、顧客の心理を金地金購入に応じるところまで巧みに追い込み、「金の現物では利息はつかないし、盗難の危険もある。」などと申し向けて、本件契約を勧誘する。この段階では、営業社員がベテランでない場合などは顧客を来社させて行うことが多く、顧客に支店等の豪華なしつらえを見せて豊田商事が多大の収益を上げている超優良会社であるという錯覚を与え、丁重な接待に始まり、ベテランの営業管理職が出てきて、長時間更に巧妙なトークを浴びせるとともに、金の現物を顧客の手に持たせるなどの手法も用いて、顧客を契約に追い込み、時には脅迫的な文言まで用いて本件契約を締結することに承諾しなければ辞去できないかのような気勢を示して契約を迫つたりもした。

そしてこのようなセールスの過程で、会社作成の極めて立派なパンフレットを顧客に見せるが、その内容は、金についての一般的知識と豊田商事の店舗の内外装等の写真(美しく豪華であるが無内容な写真)に美辞を連ねたものである。本件契約について正確な説明をしたパンフレット等は存在せず、営業社員が都合のいいことを強調するだけであつた。その際、メモやグラフを書いて示すこともあつたが、それらは、顧客宅を出るとき必ず持ち帰るように指示されていた。最後の契約締結時には、顧客に純金注文書及び純金ファミリー契約書に署名押印させ、これらには契約条項が印刷されているが、この活字は小さく、内容も難解なものであつて、それまでの経過で錯誤に陥り、契約した顧客には正確に理解できるものではなかつた。

(五) 以上のように、豊田商事が独自に開発し、その教育、指導により営業社員に徹底し、社員をして駆使させたセールス手法は、反社会的なセールス・テクニックを多用し、顧客の正常な判断力を奪い、本件契約を締結させるものであつて、このような手段を使うセールスの異常性、反社会性は何人も容易に認識し得るものであり、ひいて、本件商法の異常性、その反社会的性格に思い当たらざる得ないものであつたといわなければならない。

3  償還の引き延ばし

(一) 豊田商事は、顧客からの導入金額を増大させる一方で本件契約に基づく金の償還をあらゆる方法で引き延ばした。

豊田商事は、そのために、五年契約という長期の純金ファミリー契約証券を本件商法の中心商品として販売することを企てた。豊田商事は、昭和五八年夏からこの五年契約の商品を売り出し、その後は新規契約はもちろん従来の一年契約の商品についても契約期間満了時に五年契約の商品に切り替えさせようとした。そのため、一年契約の商品の「賃借料」が年一〇パーセントであつたのに対し、五年契約の商品の「賃借料」は年一五パーセントとして、営業社員への歩合報酬の基準も五年契約の商品は一年契約の商品の二倍として、五年契約の商品の販売に狂奔させた。

豊田商事は、一年ものの期限が到来しても任意に償還を履行することはなく、担当の営業社員は顧客に対し執拗に契約の継続(更新)及び五年ものへの切替えを説得し、しばしばこれを強要した。担当の営業社員では効を奏しない場合は、係長が顧客の説得に当たり、それでも駄目な場合には、課長、部長、支店長と次々と上司が現れて、入れ替わり立ち代わりセールスの手法を駆使して契約の継続を迫つたが、それでも継続に応じない顧客に対しては、トラブル担当の管理部社員あるいは契約の継続を処理させるために特に訓練された専門チームを繰り出して継続を迫つた。

(二) また、本件契約そのものも契約期間中の解約には応じないことを鉄則とし、やむを得ない事情から解約に応じるときは既払の「賃借料」の全額と契約金額の三〇パーセントもの違約金を控除した額しか返金しなかつた。そのため、中途解約をしても顧客は当初豊田商事に支払つた金額の六〇パーセント前後の金額しか回収し得なかつた。そして、顧客が公的機関や弁護士に相談する等強硬な姿勢を示し、満期ないし中途解約による償還に応じざるを得なくなつた場合でも、一括返金した例は希有で、できるだけ長期の分割弁済にしようとした。

豊田商事の従業員は、以上のような異常な償還の引き延ばしの実態を認識しながら、それぞれ組織の一員として前示役割を果たしていたものといわなければならない。

4  営業ノルマ

(一) 豊田商事では、導入金額を増大させていくために、厳しいノルマを課し、これが豊田商事の本件商法による被害を拡大させる原因となつていた。

豊田商事のノルマは、本部から支社、支店、営業所別に月割で定められ、それぞれの月間ノルマを営業日数で割つた金額が日割ノルマとされた。さらに右月間ノルマについては、各支店、営業所の一つの係当たりの金額が定められており、所属する係の数に係当たりのノルマを乗じたものが、課、支店、営業所のノルマとなつた。また、ノルマには新規の契約により新たに導入金を上げることを要求する「導入ノルマ」と期限の到来した契約を継続させることを要求する「継続ノルマ」があり、導入ノルマと継続ノルマとの合計は「総合ノルマ」と言われていた。例えば昭和五九年三月当時では、一つの係の月間導入ノルマは三〇〇〇万円であり、支店は通常八つの係から構成されていたから、支店の月間導入ノルマは二億四〇〇〇万円であり、営業所は通常四つの係から構成されていたから、営業所の月間導入ノルマは一億二〇〇〇万円であつた。そして、継続ノルマはその月の満期額の七五パーセントとされていたが、一年もののファミリー契約は、導入、継続いずれの場合もその金額を二分の一に圧縮された。

さらに、豊田商事では、これらのノルマが社員を一丸として営業活動に狂奔させる推進力として機能するように仕組まれていた。すなわち、営業社員の昇格、降格の判定の際、ヘッド以上に昇格する際、係のノルマ達成率とそれについての当該社員の寄与の程度が有力な判断材料とされたし、また、係長は自分自身の導入金額が降格水準に止つても、係として月間ノルマを達成できていれば降格を免れることになつていた。ノルマの達成は人事面で有力な優遇材料とされた反面、ノルマの未達成は厳しい冷遇材料となつていた。

(二) また、ノルマを達成した場合には、それぞれの役職に応じて高額の賞金が賞与や歩合報酬とは別枠で支給されることになつていた。支店又は営業所で日割ノルマを達成したときは、支店長、所長、部長席、課長席にそれぞれ六万円が、支社でノルマを達成したときは支社長に一五万円が支給された。また、二倍の日割ノルマを達成すると賞金は三倍、三倍達成すると賞金は五倍、四倍達成すると賞金は六倍、五倍達成すると賞金は七倍、六倍達成すると賞金は八倍、七倍達成すると賞金は九倍、八倍達成すると賞金は一〇倍という仕組みであつた。次に月間ノルマを達成した場合には、支店長、所長、部長、次長、課長に対し、管理職手当と同額の賞金が支給された。昭和五九年三月当時を例にとれば、支店長、所長の管理職手当ての支給率は、当該支店、営業所の月間総合ゲージ(月の新規、増の売上入金額=実導入額を「導入ゲージ」、実継続額を「継続ゲージ」といい(ただし、一年もののファミリー契約の場合はいずれも二分の一ゲージとされた。)、導入ゲージ、継続ゲージに現引手数料及びキャンセル料を加えた金額を「総合ゲージ」という。)の一パーセント、部長席は支店の月間総合ゲージの〇・五パーセント、課長席は担当する課の月間総合ゲージの〇・六パーセントであつたので、それぞれが月間ノルマと同額の総合ゲージを上げたとすると、支店長で二四〇万円、営業所長又は部長席で一二〇万円、課長席で七二万円もの賞金が別途支給されることになつていた。

このように、ノルマ達成による賞金は、当該支店、営業所、課がノルマを達成すれば、そこに所属する管理職のすべてがその月に上げた総合ゲージに応じて、右の割合による賞金を支給されたのであつて、ノルマ達成によつていかに高額の賞金が成績を上げた組織全体に配分されるように仕組まれていたかが容易に理解できるものであり、このようにしてまでノルマの達成を要求する豊田商事の営業の異常性は誰の目にも明らかであつたといわなければならない。

5  給与、報酬の仕組みとその異常性

豊田商事の給与、報酬の体系は概ね給与、歩合報酬、各種手当、賞金に分かれていた。

(一) 豊田商事においては、通勤手当、家族手当、住宅手当等の通常の手当の外に、実際には歩合報酬や賞金と同質の性質を持つ手当が多く支給されていた。その中でも管理職手当は特異であり、営業管理職手当、役職手当並びに支社、支店及び営業所の長の管理職手当は極めて高額である。

取締役、支社長等はこうした手当の名目で月に一〇〇万円以上も受け取り、本来の給与や賞金と合わせて、二〇代や三〇代前半の者でも一か月に五〇〇万円ないし一〇〇〇万円を受領していた。

(二) 賞金については前示のとおりであるが、豊田商事では当初月間ボーナス賞という賞金制度が設けられていた。これは営業社員が月間で一〇〇〇万円以上の導入金額を上げた場合、一〇〇〇万円ごとに二パーセントの特別ボーナスが支給されるものであつた。そして、特に入社後三か月以内の営業社員がこれらの売上を達成した場合には、新人賞としてそのうち、一位の者と二位の者が表彰された。またキロ単位賞と呼ばれる賞金もあり、新規契約や増額契約で一つの契約がキログラム単位のときは、一キログラムにつき二万円の賞金が出た。さらに、こうした営業活動やテレフォン業務の結果、豊田商事全体を通じて上位の好成績を上げた社員には個人表彰賞金が与えられた。例えば昭和五九年三月当時の個人表彰賞金は、営業社員の一位が六〇万円、二位が五六万円、以下二〇位まで二万円刻みで賞金が出たし、新人営業社員では一位が二〇万円、二位が一六万円、その後五位まで二万円刻み、テレフォンレディーも一位が三〇万円、二位が二八万円、以下二〇位まで一万円刻みで賞金が支給された。

(三) 歩合報酬は、「係長課長待遇」以下の営業社員の営業歩合と「係長課長席」以上の管理職の営業管理職手当に分かれていた。

(1) 営業歩合は、当初、ノルマを達成した当該営業社員の一か月の総合ゲージから四〇〇万円(東京地区五〇〇万円)を控除した残額について、一〇〇万円単位で六パーセントを掛けた金額を三か月に均等分割して支給していた。

この営業歩合は、五年ものの商品の販売や、ゴルフ会員券の販売開始に伴い改定され、新規及び増売上の場合は、売上対象やゴルフ会員券であれば実導入額の二倍に六パーセントを掛けた金額、五年もののファミリー契約証券であれば実導入金額の一・五倍パーセントを掛けた金額が歩合報酬とされ、継続の場合は、右の歩合報酬額の半額が支給された。

そして、昭和五九年三月一日からは、それまで一〇〇万円単位で計算していたものを円単位で計算することに変更しただけでなく、すべての歩合報酬を、東京地区を含め、一か月の総合ゲージから四〇〇万円を控除した残額の一五パーセントと倍以上に増額された。さらに、豊田商事倒産直前の昭和六〇年三月には、歩合報酬率を三〇パーセントもの高額に引き上げた。

(2) 営業管理職手当については、当初はそれぞれの担当する課又は支店の一か月の総合ゲージに対し、課長席が〇・三パーセント、部長席が〇・二パーセント、所長及び支店長が〇・五パーセント、所長代理及び支店長代理が〇・四パーセントとされていたが、これもその後改定され、昭和五九年三月からは課長席が〇・六パーセント、部長席が〇・五パーセント、所長及び支店長が一パーセント、所長代理及び支店長代理が〇・八パーセントとされた。また、係長席の歩合報酬については、昭和五九年三月以前は担当係の月間総合売上から二〇〇〇万円を控除した残額について一〇〇万円単位で一パーセントの金額を歩合報酬としていたが、その後は担当する係の月間総合ゲージから一五〇〇万円を控除した残額について円単位で二パーセントの金額に増額された。

(3) 右のような給与、報酬の仕組みは、異常に高額な歩合報酬を餌に、組織を挙げてひたすら総合ゲージを上げることに邁進させることを目的としたものであり、著しく社会的相当性を欠く給与体系というべきものであるが、豊田商事が年々歩合報酬の支給率を上げてきたことは、豊田商事の本件商法が、営業社員及びこれを指揮・管理する管理職に法外な歩合や手当を支払つてでも導入金額を増大させ、他方で契約の継続によつて豊田商事の内部から外部へ資金が流出しないようにせざるを得ない構造であつたことを如実に示すものである。特に、高額の営業歩合や賞金、手当を支払えばそれだけ会社に留保される資金が少なくなり、余計に多くの資金導入を図らなくてはならないものであり、さらに、何らの実業を伴わず、セールスだけの力で導入金額を増大させるためには歩合報酬等の支給率を増やさざるを得ず、そうすればまたさらに多くの資金導入が必要になるという破滅的な悪循環は、社内に身を置いた者には容易に認識でき、また、認識し得べきものであつたといえる。

(4) また、昭和五九年三月に至つて、それまで新規契約よりも歩合の低かつた継続契約についても、新規契約と同様の歩合報酬を支給することになつたのは、この時期にきて一年ものの契約の償還期限が集中し、その償還に応じていたらたちまち資金的に破綻する事態となつたからであり、この点からしても、豊田商事の従業員は、本件契約の履行による経営の破綻について認識でき、また、認識し得べきものであつたというべきである。

さらに、多額の費用を注ぎ込んで、全国の主要都市の一等地に存するビルに支店や営業所を構え、華美を誇る事務所設備、調度及び装飾を整え、前示のような営業活動に法外な歩合や手当等を支払う豊田商事のシステムを見れば、豊田商事の従業員は、たとえ本社、支社、支店及び営業所の経理内容の全貌を知り得る立場になかつたとしても、後記6の批判的報道と照らし合わせ、豊田商事の実態が、顧客から集めた導入金を新たな被害者を生み出すための費用として食いつぶしている詐欺的商法を行う会社であると見抜くに足りる諸事実を極めて容易に認識できたものといわざるを得ない。

6  本件商法に対する社会的批判

(一) 豊田商事の本件商法に対する社会的批判は、顧客からの本件契約の内容に対する不安や、期限が来ても金の返還を受けられないという苦情から始まり、これらの相談や苦情が通商産業省、地方自治体、弁護士会あるいは民間の消費者団体などに次々と寄せられ、また、そのような情報、取材活動により、新聞等のマスコミは、本件商法の詐欺的性格(営業方法の違法性、破綻の必然性)の裏付ける内容の報道をさまざまな角度から繰り返していた。

すなわち、昭和五六年九月及び一一月には、実名を伏してはいるが、社員を始め豊田商事の本件商法を知る者には同社を指すとすぐに分かる内容で、本件商法を金の悪質新商法として批判する記事が新聞報道された。さらに、昭和五八年八月以降、朝日新聞が豊田商事の実名を挙げて、本件商法を「詐欺まがい」商法と性格づけ、内部告発によるその手口を明らかにするとともに、これを強く批判し、警戒を呼び掛けるキャンペーンを展開し、これにより同時期には豊田商事の導入金額が減少した。その後、各新聞は、機会あるごとに本件商法について前示のような批判報道を続けてきたのである。

他方、昭和五七年四月以降国会の衆参両議院の各種委員会においても、しばしば豊田商事の本件商法が問題として取り上げられ、その規制等について質疑応答が行われてきた。

全国の弁護士グループも、豊田商事に対し、昭和五八年一〇月及び一二月の二度にわたり、営業実態と資産運用について明らかにするよう公開質問状を送り、また、本件商法の被害者の代理人として、豊田商事の幹部を詐欺罪で告訴するなどした外、個々の営業社員に対する告訴も各地で行われ、現実に逮捕された者もあつた。さらに、被害の回復を求める民事訴訟が各地で提起され、これらの事件はマスコミに取り上げられ、報道された。

(二) しかし、右のようなマスコミ報道を始めとする社会的批判に対し、豊田商事が、その経営基盤や本件商法の正業性(非詐欺性)について、具体的根拠を示して社内外に反論したことはなかつた。

四  従業員被告の故意・過失

1  以上の諸点を総合すれば、支店長以下の地位にあつた被告らは、豊田商事が、前示のとおり反社会的なセールス・テクニックを多用する営業行為に対し、一般の企業に比べて著しく高額な給与を支給し、とりわけ本件契約の締結・継続(更新)に功績のあつた額と直結した高額の歩合報酬及び賞金を支給するシステムによつてその営業行為を鼓舞してきたこと、このような豊田商事の本件商法に対し、昭和五六年九月ころから社会的批判が継続的に繰り返されてきたこと及びこれに対し会社から何ら根拠に基づく反論が行われなかつた事実の認識が形成されたことは否定できないものというべく、かかる認識を基礎とすれば、豊田商事は、純金等の資産の保有や収益の裏付けを欠いたまま、強引に顧客と本件契約を締結し、これによつて得た導入金の大半を従業員に対する給与やビルの賃料外、虚飾の経費に消費し、本件契約の約定どおり期限に金の償還ができる見通しがないのに、本件商法を維持・継続・拡大していたことを認識していたか、又は容易にこれを認識し得たものというべきである。

2  それゆえ、右被告らは、前示二の2ないし4の役割に基づき、それぞれの地位にあつた期間中に発生した原告らの損害について、それぞれの役割の範囲の共同不法行為責任を負わなければならないものである。

五  取締役又は監査役の地位にあつた被告の責任

前示のとおり、豊田商事は、一体として組織的に、違法な詐欺的商法である本件商法を営業の中心として遂行してきたものであり、被告北本幸弘及び被告日下晴彦は、豊田商事の設立当初から永野を中心とする同社の最高幹部グループの構成員として、本件商法を企画し、その遂行・拡大を図つてきた者である。その余の取締役又は監査役の地位にあつた被告らも、別紙取締役経歴役職等一覧表記載の経歴の示すとおり、永野を中心とする最高幹部グループの信任を得るに足る業績を上げ、又は忠誠を示して本件商法を遂行する組織の枢要な地位を与えられていたものであり、右被告らは、その地位に鑑み、本件商法の詐欺的性格及びその営業活動の違法性を認識していたか、そうでないとしても容易にこれを認識し得る立場でありながら、本件商法の組織的遂行に関わつていたのであるから、その職務を行うにつき、悪意又は重大な過失があつたものとして、少なくともその就任期間中の本件商法による原告らの被害については、そのすべてにつき賠償義務ある他の被告と連帯して、損害賠償責任を負うものといわなければならない。

第六  被告らの主張について

一  被告金林弘太

被告金林弘太は、昭和五九年三月一日に退社した旨主張するが、監査役としての登記が同年六月まで残つていたことは自陳するところであり、退社の事実を原告らが知つていたと認めるに足りる証拠がない以上、前示のとおり組織的に遂行された本件商法の被害者である原告らに対しては、内部的な退社の故をもつてその責任を免れることはできない。

また、同被告は、秘書室の従業員として通常の会社の秘書室業務のみを行つていたにすぎず、右登記は実体に反するものである旨主張するが、同被告が在職中実際に関与してきた業務内容がその主張のようなものであつた事実を認めるに足りる証拠はない。

したがつて、被告金林弘太の主張は採用することはできない。

二  被告日下晴彦

被告日下晴彦は、一年ものの本件契約から五年ものの本件契約に契約が更新されれば、更新後の契約は更新前のそれと契約を異にし、弁済を受けられなかつたのは契約を更新したためであるから、更新された契約については、更新時に豊田商事に在籍していなかつた同被告は責任を負わない旨主張する。

しかしながら、前示のとおり、本件商法は、これを企画し、実行し始めた当初から、本件契約の約定どおり期限に全部償還できる見通しがないのに、前示のような営業方法をもつて遂行された違法な詐欺的商法であるから、その後更新された契約についても、当初契約の締結時に既に不法行為及びこれに基づく損害の発生があつたものと解するのが相当である。そして、本件商法の遂行に伴う当然の成り行きとして、期限の到来した契約については、これを更新するよう顧客を説き伏せる営業が新規契約の獲得と合わせて展開されることになつたのであり、このようにして本件契約の更新に関与した者は、その時点で、顧客の正当な権利の行使を阻止し、顧客の損害の回復を不能又は著しく困難ならしめる新たな不法行為を行つたものというべきであつて、顧客の損害の継続・一体性の観点から、当初契約に関与した者と更新契約に関与した者とが異なる場合の損害賠償責任は、不真正連帯の関係に立つと解するのが相当である。

したがつて、被告日下晴彦の主張は採用することができない。

三  被告小倉邦彦

被告小倉邦彦は、名目的な取締役にすぎなかつた旨主張するが、前示のとおり組織的に詐欺的商法である本件商法を営業の中心として遂行してきた豊田商事の取締役としての地位にあつた以上、特段の事情が認められない限り、その就任期間中の本件商法による原告らの被害につき、損害賠償責任を免れることはできないというべきである。被告小倉邦彦について、右特段の事情を認めるに足りる証拠はない。

四  その余の被告らの主張については、前示第五に認定、説示の事情に照らし、いずれも採用することができない。

第七  結論

以上の次第であるから、被告ら各自に対し、別紙各請求目録の各「請求金額」欄記載のとおり、原告らの被つた前示損害のうち、その半額を超えない金額及びこれに対する不法行為の日の後である昭和六〇年七月一日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める各原告の請求は、いずれも理由がある。

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石川善則)

裁判官永田誠一及び裁判官田代雅彦は、いずれも転補のため、署名押印することができない。

(裁判長裁判官 石川善則)

《当事者》

原告

第一事件 1 大島洋子 〈ほか四四名〉

第二事件 1 小林 隆 〈ほか三五名〉

第三事件 1 小畑美佐子 〈ほか三七名〉

第四事件 1 松土和枝 〈ほか二三名〉

第五事件 1 吉田喜一郎 〈ほか三三名〉

第六事件 1 雨宮仲嶺 〈ほか三七二名〉

第七事件 1 菊地艶子 〈ほか二〇五名〉

原告ら訴訟代理人 阿部哲二 〈以下六五名〉

第一ないし第五事件及び第七事件被告 金林弘太

右訴訟代理人弁護士 二階堂信一

第六事件被告 日下晴彦

右訴訟代理人弁護士 池内精一

第一ないし第五事件被告 田村隆一

右訴訟代理人弁護士 大音師建三

第一ないし第五事件被告 石川洋 〈ほか二〇名〉

第六事件被告 北村敏裕

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